洗濯物干すのもhip-hop

しばらくブログを書かなかった時期のことを忘れないように改めて書き残しておこうと思います。

 

その間、何かが起こったわけでもない、怒ったことは1回。
フェミニストを自称する人たちからのいちゃもんでクリーピーナッツのラジオ的な動画『悩む相談室』が消えた。
フェミニスト方の蛮行は目にしていたが、それによって実害が生まれたのは初めて。
他意もなく、フェミニストを自称する方々には全員死んでほしいと思った。
知り合いにそれを成し遂げた張本人がいたら本気で殴っていたと思う。
それくらいに世の中に、久しぶりに感情が動いた。

 

ただ、総じてしまえば穏やかな日々だった。
なにかにムカつくよりもリアルなものを愛する時間が増えた。

 

 

旅行にはいったが、ライブにはいかなかった。
週末に都心に赴く元気もなければ、10時間をかけて遠方で鉢合う時間もない。
ただ、最近、音楽関係で重要な岐路を迎えていたらしい。
悩む相談室が消えて数週間、自分の頭の中で引用する言葉がロックからヒップホップになっているのに気づく。
当然、車の中で流れている音楽も同様に。

 

思えば、僕の中のhip-hopが始まったのは4年前くらいからだと思う。
大学院の時に押し込められていた狭い部屋で百足対韻マンの試合を見ていた。
その当時は「そういえばそんなのもあったな、なんだか進化しているようだ」などとのんきに思いながら1週間ほどのマイブームが終わった。
ただ、今も好きでいるわけだから腐れ縁は続いたわけです。

 

ご存じの通り、僕はリトルトゥースです。オードリーのオールナイトニッポンのリスナーです。
ある日、若林のフリートークの中で朝井リョウに紛れて彼の名が出てきた。
それだけでその松永という男が陰湿な人間であり、自分と近い感性を持った人だと分かりました。
そして、話が進む中でR指定という名前が出てきました。
山里亮太を好きらしいその人の名前にはしっかりとした聞き覚えがありました。
UMBというフリースタイルラップの全国大会でまるで前自民党総裁小泉ばりに前人未到の3連覇を果たした人の名前だった。

 

そんなことで興味を持った自分にはちょうど良く彼らのユニットcreepy natsのオールナイトニッポンゼロが始まります。
彼らはアーティストという色眼鏡を外しても、爆発的に話が面白かった。
そんなこんなで最初から今まで一度も逃さずに彼らのラジオを聴いている。
それに加えて、地上波よりもフランクに始まったYouTubeにあるラジオ動画もテレビの切り抜きもほとんどを見ている。
彼らの客観的な背景のほとんどを知っている自信がある。
DJ松永が童貞を卒業した瞬間は知らなかったのですが。

 

今の彼らはご存じの通り、ラッパーとしてのプロップスを貯めて、お茶の間のhip-hopスターになりつつある。
その1つずつ積み上げた日々の中で何度もhip-hopとの再会を繰り返しながら、次第にそのサイクルは回らなくなっていきました。
時代の波ならhip-hop、その波に乗ってしまっているのは少し恥ずかしいような。

 

ここ数か月はロックンロールを忘れかける日々が続いています。
ライブに行けなくなってしまった間、その心の隙間にhip-hopが入り込んでしまったのかもしれないですね。

 

これまでの人生の中で音楽の偏愛歴は多くの人のそれと同じように紆余曲折を経ている。
ゆずから始まった音楽の歴史はall time low、radwimps片平里菜クリープハイプ、hump back、TETORA、creepy nats。
そうやって移り変わったんだなとしみじみします。
この中には空白があります。大学に入ったときや社会人となったときなどが当てはまると思います。
だけど、最近のお気に入りであったcreepy natsもそれらと同じレイヤーになったと確信できるようになりました。
もちろん、俺がまともになったのは彼らのせいなので。

 

代り映えのしない日々の中で一連のcreepy natsに関わる捉え方の変化は数年後の自分に対して楔を打つべき存在になったような気がします。
今でも人生で一番好きな歌手はアナルにバイブを突っ込んでいる人たちです。
それでも誰にも分からない引用にhip-hopが紛れているのは、それが今の自分にとっては大切だからなのでしょう。
句読点がない日々の中で少しずつ変わっていくことを振り返り、記述することはそれを終わらせるために大切です。

 

日々の愛おしさを守りながらゆっくりと次に進まなきゃなぁ。
ハッピーエンドのその先にも物語は続いているので。

 

 

おわり。