少し寝て、少し起きて、酔っぱらい。

午前2時。寒いし酔っぱらってるから当然踏み切りには行けない夜。

この前書こうと思ってたことを思い出しながら羅列していこうかなと、

 

大学1年生の話。

今の大学1年生は人の繋がりが少ない。

コロナで新歓も合宿も授業も無くなった大学生はやっぱり寂しいんだなと。

僕の大学1年生は一人暮らしと上京の寂しさに伴って、ふわふわ時間も多かった。

だけど、結果的にはその後の僕の根幹になることもたくさんありました。

お酒を飲むことを覚えたのがこの頃でしたね。

外堀公園でストロングゼロを飲んだ夜が愛おしい。

飲み過ぎたワインのアルコールのせいで財布を無くしたのも、泣いちゃったのも、高いウイスキーを飲んだのも、千年の宴で宴をしたのも、その他もろもろの夜を過ごしたのも全部愛おしい。

そっか、今の大学1年生はそれが全部抜け落ちてるんだ。

知ってるけど、実感したらたまらなく寂しくなった。

 

塾講師時代の教え子と焼肉に行った。

ひたすらに愛おしい。

考えてみれば3年前、僕の生活の全てはその子のためにあったと言っても過言ではないほどだった。

愛おしい、それ以上の言葉で言ってしまえば陳腐になってしまう。

だから、言葉にしない、それ以上に過不足なくその日々を説明する言葉はないから。

 

久々に理科が好きになる。

なんでか、YouTubeで理科的な動画ばっかり見てる。

僕は基本的に文系の人間だけど、一般教養としての理科を諸々勉強したりしてる。

利己的な遺伝子って本の内容が僕の哲学の根幹の一つになっているのが、不思議なような、納得するような。

 

ねよ。

 

おわり。

ウェイウェイ大学生

昔のLINEを眺めてると😂とか(笑)とか!とかが多くて僕自身が痛い奴に思えてくる。

昨年からほとんど無くなったこういった類いの痛い感情記号。

 

僕も大人になったな

なんて短絡的には思えなくて。

 

😂(笑)!

これらは「同世代の砕けた関係性の人に送る社交辞令の象徴」でしょ、

最近、人との関係にはゆるさがない。

 

僕の直近のLINE履歴には少し崩した敬語で丁寧に推敲された余裕のない文章と打ち解けている人に対する雑な文字列が並ぶ。

僕の人間関係は仕事の人と友達のみになった。

その間にあったはずのおおらかな知り合いが消えた。

 

もしかしたら、なんとなく世界を信じきれない感覚の底には、そんな背景があるかもしれない。

 

明日は久々に顔文字を使った人と会う。

先日、大学に合格したあの子。

もう少しだけ懐かしさの中で生きていようと思う週末

 

おわり。

3月9日の卒飲み

久々に昔のLINEを見返しました。

 

知らない名前が並ぶ2018年以前のやり取りの中に見返してはにかむような履歴がいくつか。

 

お互いに出席カードの代筆と授業のプリントを見せ合うだけの関係だった人とサシ飲みした夜があったり、

3年間、ずっと腐れ縁の中で過ごしたイケメンの人がいたり、

その子が送ってくれた写真が可愛いくて自慢したバイト仲間がいたり、

ネタキャラに徹してた後輩が痩せて可愛くなってたり、

高3の時に受験勉強のために内職結託を結んだ彼とのクソみたいなやりとりが残ってたり、

塾の生徒に手を出したクズとその彼女とその友達(自分の担当生徒)と飯に行ってたり、

 

絶対に忘れたくない、愛おしい思い出を振り返ることは多々あれど、こういう取るに足らない思い出はともすれば消えて無くなってしまう。

 

こういう記録が残ってて良かった。

3年ぶりに可愛い女の子の写真が見れて良かった。

 

このブログは僕の頭のログ。

きっと数年後、懐かしんで振り返ることがあることに期待して。

 

 

おわり。

感情記号で彩って

さっき、ここ5年で有数の発見(厳密に言うと直感的に分かりきっているけど初めて言語で腑に落ちたこと)がありました。

 

僕は感情を言語化してくれる有名人を猛烈に尊ぶのか

 

ありきたりなことで拍子抜けですが、僕的には感動してます。

オードリーの若林、尾崎世界観片平里菜creepy nuts、などなど、

僕が好きなアーティストの特徴をもれなくシンプルに表してる。

 

20歳を超えたあたりからどうにも言語化できない感情に出くわすことが増えました。

僕は元々、感情を言葉にすることができないタイプの人でした、

今でこそよく使う「クソ」「うるせーよ」「エモい」「ムカつく」とかそういう類いの言葉は昔から使っている言葉ではありません。

これらの言葉、というか感情記号は全部上記のアーティストに教わりました。

こういう時はこういえばいいのね、子どもが言語で世界を識別できるようになるそれと近い。

 

僕は感情を言語化してくれる有名人を猛烈に尊ぶのか

この言葉だってDJ松永に教えてもらいました。

 

尊敬する有名人はみんな僕に似てる。

卑屈で衝動的で陰鬱で社交的

矛盾した人格で生きてきた人の言葉は身に染みる。

 

たまに友達にもそういう人がいる。

彼らは本当にすごい。

イキってる大人より数倍は深い。

 

なんか、感動した。

そうだそうだ。

 

 

ありきたりなことで、なんとなく分かってたことなんだけど、改めて言葉になった時、再現性を持つ。

 

 

寝よっか。

お疲れの酔っぱらい。

 

 

おわり。

主人公は一人でいい

個別最適と全体最適

特に全体最適って言葉は1年ぶりに思い出した気がする。

 

「個別最適」は個人にとって最も合理的であること

全体最適」は集団にとって最も合理的であること

 

例えば、プロ野球の試合で九回裏0-0ノーアウトランナー1塁バッター2番、実際は間違いなく送りバントですよね、この時にサインが全くない場合。

個別最適的な志向であれば間違いなくヒッティングです。試合に勝とうが負けようが年俸には関係ない、長打を打てればワンチャンサヨナラ、ヒーローです

全体最適的な志向であればチームが勝つためにバントをする。

 

どっちのがいいのでしょう。

野球みたいなチームスポーツだとしたら後者の方が良いかもしれない。

けど、本当にそうなのか、

チーム全員が全体最適的な志向であれば、どこかでエネルギーが尽きるような気がするんですよね

チーム全員が個別最適的な志向であれば、まぁチームはぐちゃぐちゃでしゃう

おそらく最適な解は9割の全体最適主義者と1割の個別最適主義者じゃないでしょうか。

根拠はないんだけどそんな気がする。

というより、個別最適主義者は集団に一人いれば十分な気がする。群れのボスが一人しかいないように。

 

個人主義的な、個別最適化された教育っていうのは、最適なバランスではない気がするな。

少なくとも農耕文化の国では

 

内容クソ薄いな

きらい

 

 

おわり

死んでもやめんじゃねーぞ

僕はリトルトゥースです。

オードリーのオールナイトニッポンのリスナーです。

 

はじめてラジオを聴いたのは吉岡聖恵オールナイトニッポン最終回。

「まさか最終回から聴きはじめてる人なんていないですよね」ってあのいきものがかり吉岡聖恵が言ってたのを覚えてる。

吉岡聖恵ってROP「ロケットおっぱい」とか言うんだって変な同類感を感じつつ

 

それから僕はラジオが好きになった、

大好きなゆずがラジオをやってるのも、本当に駆け出しの頃のmiwaがラジオをやってるのも、あの時知れて良かったなと思う。

 

miwaとかcreepy nutsなんかは本当に売れていく瞬間を毎週ごと実感してね、

ちょっとずつ大物の話が出てきて、ステージが大きくなって、テレビの話が増えて。

 

実はオードリーもそれに近い感覚がある。

僕が聴きはじめたのは多分5年くらい前、そこから毎週、春日と若林のおしゃべりを聴いてる

 

その頃、若林はMCなんてやってなかったし、春日は自分磨きの話と中野のキャバクラの話をしてた。

 

なんか、当時からしたらびっくりするくらい大物になったよな、

5年って時間も、10年って時間もやけに短く感じる。

 

僕も今年25歳よ、

なんか、頑張ろ

 

おわり