ディープラーニングな数時間。
どこにポストするか迷ったからこっちに。
実家に帰った。
親が老けたのを感じるたびに目の前のものを、どんなに拳が痛くても、殴りたくなる。
それはここでも言わない話として。
僕が帰り際に泣いてしまう理由も無視して話を進めよう。
中学校の野球部でチームメイトだった奴が市役所で横領をしてクビになったそう。
いつだったか、彼から同じ職場の人が株で何百万得をしたみたいな話を聞いた気がする。
人生が枝分かれしてるんだよな。
僕たち28だもんな。
酔っ払いにも言語化できないものがあるんだなと。
いや、タバコ吸いながらそんな話するなよ、親、
なんで、彼と僕が他人だと思ったのよ。
おわり。
メールよむ。
毎回、上半期だけ自分が生きてた証拠を残すためにブログを書く癖良くないとは思っています。
下半期の生活の主題を書いておきましょう。
内緒にしてたけど、『あののオールナイトニッポン0』を聴き始めまして。
2つの文脈を振り返ります。
creepy natsのオールナイトニッポンが終わって、4ヶ月は憂鬱な日々を過ごした。
いまだに2023年1月から最終回までを聴くことができていない。
「ラジオが終わっただけで鬱とか…(笑)」
みたいな人が職場にいたら、ぶっ殺してます。
今になって思えば、僕はリトルトゥースというよりむしろcreepy nutsのオールナイトニッポン0のリスナーでした。
イギリスでエドシーランを探してた頃には、彼らをテレビで見ながら年越しするなんて思ってなかったよなぁ。
今でも引きずってますよ。
『ビリケン』良い曲で大好きだけど、どこかでcreepy nutsに再会したいと思う自分を咎められた気がして寂しいです。
youtube musicによれば2023年に1番聴いた曲は『涙くん、今日もおはようっ』ではなく、『ビリケン』だったそうです。
あのちゃんのラジオを聴き始めました。
二股はできないタイプなので、別のラジオを聞いた瞬間に僕はcreepy nutsを忘れることを選んだんですね。
今でも覚えているのですが、夢にあのちゃんが出てきました。
テレビなんて見ないから、あのちゃんがブレイクしてるのは知らなかったです。
奇しくも年越しの前後はあのちゃんを見てました。
単発の最後、太川を馬鹿にしてた瞬間と、ベッキー登場の回でクリープハイプの長谷川さんを馬鹿にしてた瞬間に、これからも嫌いになれない感覚を持ちました。
DJ松永と似てたんです。
単発の時から知ってました。
一昨年の正月にやってた単発は元々聴いてて、それはもうやばかったです。
creepy nutsの次があればあのちゃんなのはあまりにも自然で、無意識のうちに分かってたのかもしれないですね。
酔っ払いだから、またちゃんと構成する。
僕の生きてた証拠に、あのちゃんが初登場する瞬間はきっと大切だと思うから。
おわり。
あのロックスターは死んだ。
答え合わせの飲み会はどちらかといえば好きな方です。
新しくご縁がある人とおよそ同じほど縁が切れていく人がいる。
環境の変化という耳障りのいい言葉で解釈してしまう自分はたまらなく憎たらしい。
それは時にロックンロールよりもドラスティックに世界を変えるし、時に蛇が行うそれのように心と心の間をゆっくりと締め殺す。
ただ、その関係において今際の際に現れる走馬灯のような答え合わせの時間が僕は好きだ。
心の中を垣間見る一瞬に形容し難い煌めきを感じる。
旧友(友人とも言えない人達)とのそんな時間を思い出す。
日々の小さな出来事を選りすぐるように、絞り出すように話題を集める。
彼らの人生にひょこっと顔を出した自分の姿に少し苛立ちながら、また、彼らが眠る前に瞼の裏側に映る自分の面影に誇らしさを感じたりもする。
終わった後でレトリックに彩られた過去を尊ぶのなんてことさらダサいし、そんな一瞬を思い描く自分はすごく嫌いだ。
とは言えども、そんなハレとは言えない日々に、曖昧でくどいほどあまい時間に、視点が移ろう一瞬に、幾許かの愛情を感じる僕はずっと変わってはいない。
おわり。
不規則な生活リズムで。
人生の連続性と変異に愛情をひどく感じる日々です。
僕の記憶を辿れば人生の連続性はおそらく高校生のあたりから始まっていて、もう少し無意識の価値尺度を考慮すれば5才の時から始まっていて、ともかく基本的には人生は論理的なもので出処進退の選択には因果がある。
実は大学1年生の時だけサークルに入っていた。
何をしていたかということには全く関心がなく、サークル終わりに開催される外飲み(大学前のベンチでただ酒を飲む時間)が楽しくてたまらなかった。中でも僕の19回目の誕生日には焼肉の後にコンビニで安いワインを大事に抱えて終電間際の九段下のトイレで眠ったことは人生で最も幸せな数時間のうちの1つだったのかもしれない。そこからサークルを辞めた日の外飲みで師匠と清水さんと中山さんに見守られながら大号泣した日も、大学4年生の終わりに宇佐見くんに見守られながら朝焼けに泣いてしまった日も、ずっと繋がっている気がする。
そんな連続性の美しさを何歳も年下の子に求めるのは酷だと思う。
上から目線の大人にはたまらなくイライラしていたけど、僕がそのクソみたいなジジイに成り下がった時にそう思ってしまうのは過去を振り返ればどうしようもないことなのかなぁ。
西川純はまさに面影になって抽象的な存在になったけど、それでも思い出す言葉の中のひとつを引用する。
アダムは知恵の実を食べたために楽園を追放された。アダムは後悔しただろうか?
きっと、しばらく考えて、後悔しただろう。幸せは何かをなすことによって得られるものではなく、安定した人間関係の中で生まれるから。
でも、知恵の実を食べてしまった。
どうしよう。
もはや甘酸っぱい青春の日々はとっくに過ぎて、ニコニコとグダグダと息をしてる僕ならば、この言葉をもう少し曖昧に解釈できる気がしている。
知っても知らなくてもどっちでもいい、もう一度自分が果実を食べる場面に出会した時には過去を確かめて自分で選べ、生徒がその場面に出会ったら黙って見守れ。
今も心の中にミニ西川がいるかと言われたらいささか怪しい。
それは忘れてしまったからなのかもしれないし、僕が都合の良いように吸収してしまったからかもしれない。
それでも彼の同じことをしつこく言ったり書いたりする癖からして、何度も言われていない言葉は胸に沁みる。
僕、明らかにいけないことを少なくとも2回大学院時代にしてるんですけど、一度も西川純から怒られてないんですよ。
不思議でしょ。
一連の支離滅裂な話が今の僕にはたまらなく繋がって感じる。
黙って見守れ。
やっぱり、これが1番難しいですよね、わかってきました。
それと、誰かどの顔して見守るとか舐めたこと言ってんだよと思う方々、お前らの小さい脳みそを目一杯使った馬鹿みたいな考え方では到底分かるわけないですが、クソヤンキーだった頃のちょうどその先に今があるんですよ。
おわり。
孤独な街並みはblue
病み期突入不可避
昼間から酒を呑む性分、不規則な生活は続く続く。
ごまかすようにお前の尻より軽い言葉を重ねる。
宗教勧誘の後、ブログに書こうとしてたけど酩酊状態で消えたことを書こう。
中学校の頃、英語の先生は3年間ずっと繰上先生でした。
桑田佳祐に似てて、教頭になっても授業をしちゃうタイプのよくいる良い先生。
今思えば15年前から話し合い活動を中心にしたり、英語オンリーの授業をしたり、洋楽の合唱(we are the world)を授業でやったり、当時の印象以上にスーパーマンだったのが今になって分かる。
まぁ、結果的には英語の成績は上がらず、大学受験で英語の偏差値を30上げた僕の功績につながるのはご愛嬌というところで。
信じられないことに当時の僕は割とかわいい生徒で、ニコニコして言われたことはちゃんとやっていた。
考えてみれば繰上先生が授業を持っていたクラスは確か学校で1つ、3年間ずっと彼の授業を受けてたのは確率論で考えれば8-9人ほど。
後から思い出すかぎり僕が彼にとって特別な生徒のうちの1人だったはずである。
そういう結論にいたる。
卒業式の後、アルバムに先生からの一言をもらいに行った時に象徴的な、特別な言葉をもらったことを今でも覚えています。
「雅也の笑顔はいつか自分自身を救うぞ、苦しい時でも笑顔だけは忘れるな」
当時から「いい言葉だなー」くらいの認識はあったのですが、大人の階段を一通り登って振り返るとその言葉の意味について考え込みます。
どこまでのことを見透かしていたのかは分からないけど、繰上先生の目線から考えれば特別な言葉だった可能性は高い。
高校に入って、大学に入って、院にも入って、その時々で「先生」から特別な言葉をもらったりもらわなかったりしました。
実はその言葉は驚くほどに思慮深く選ばれ、構造を示唆するものだったのかもと思い返して感じる。
実は西川純からも特別な言葉をもらってるけどそれはその時が来たら話すことにして。
最近どうかな、笑ってるかな。
多分、笑うこと減ってるよな。
なんでこんなことを今になって思い出したのか経緯は分からないけど、思い出して良かった。
ただ、僕がもう少しでいなくなる生徒に何か特別な言葉を言えるかというと自信ないな。
想定以上に心の落ち込みが大きくて、寒くてどこかにいく勇気はないけど、出かけないとダメだなと思う冬。
おわり。
オールナイトペイン
ただやはりショックは大きいもので、月曜日のラジオをいまだに聞くことができていない。
急に一つの時代が終わってしまったようであまりにも名残惜しい。
さながら「オールナイトペイン」とでも名前を付ければいいのだろうか。
だから、少し明るい話をしようと思う。
土曜日に家で酒を飲んでいるとニコニコしたおばちゃんと好青年が家を訪ねてきた。
明らかにそれなのだが、酔っぱらって人懐っこくなったのか、僕はドアを開けた。
「今世界の真実を伝えるためにこの地域を回っております~」
やはりそれだ。
なぜかドアを開き、10分くらい世界の真実の断片を聞いてドアを閉じました。
「あーもしかして見込み客みたいな扱いになって毎週来られたらさすがに嫌だな」
などと考え事をしながらお酒を飲み続けていたら記憶がなくなった。
最近はなぜかアベプラニュースをずっと見ている。
ゲームをするついでに聞き流すのが心地いい。
僕のyoutubeのレコメンドには、いわゆるユーチューバーのようなゆるさはなく、ウクライナ情勢に関するニュース番組と社会問題を議論するコンテンツ、ビジネスチックな自己啓発で覆われている。
そんな流れでニュースを見ていると気になる動画に鉢合わせた。
宗教の献金問題に関する動画に目が留まる。
僕の好きな女優は綾瀬はるかだ。
中学生くらいの時にドラマ『ホタルノヒカリ』を見て惚れた。
そのドラマはただ綾瀬はるかがかわいいだけではなく実は教訓めいたことを内包していて、大学院生に至るまでに何度か見直している。
ある日、生徒と好きなタイプについての話になり、僕は綾瀬はるかの名前を挙げた。
「もうおばちゃんになっちゃったから別の人も見つけないとねー」
そう言いつつ、3-4年前、別の人はいたはずだった。
清水富美加である。
みなぎるPMというラジオ番組をやっていて、そこらへんにころがっているアイドルや女優のクソしょっぱいラジオとは一線を画していた。
聞き始めたきっかけはオードリー若林がゲスト出演をした動画をふと聞き流したからだった。
清水富美加については当時とっくに神に導かれていたので、その文脈がより顕著に彼女の異質さを際立たせた。
例えば、フジファブリック『茜色の夕日』を聞いて、バンド名で検索をかけたら好きになる前にボーカルがいないことを知った、みたいな難しい感覚である。
そういう経緯で清水富美加のラジオをすべて聞きながら「ただ結局は宗教の人でしょ」という謎の理性を持ち合わせて時間を過ごしたが無理だった。
彼女はおそらく約10年ぶりくらいに好きな女優の栄冠を手にしてしまった。
で、本題なのだが、今日現在、小川さゆりさんが好きな芸能人の栄冠を思うままに振り回している。
統一教会の二世信者らしく、教会と親から会見中止のファックスが届いて泣きながら会見をしていたその人です。
アベプラの時にはその人だと気づかなかった。
彼女に興味を持ったきっかけは話から漂う頭の良さだ。
バリバリの女性蔑視をするのだが、女っていうのは感情と論理の区別がついていないし、感情に流されて訳の分からないことを言い出す。
僕はcreey natsの悩む相談室を消したフェミニストどもを心のそこから軽蔑している。
という背景もあって、バチバチにロジックで勝負するストロングスタイルで感情的な出来事を含めながら客観的に話す様子を見ていると、大勢のコメンテーターぶった女性とは明らかに違うことがすぐにわかった。
大学のゼミとかで出会うような声の大きい人もあまり得意ではない。
優秀な女性が仕事をしている時というのは決まってそれだ。
そこにも小川さんの異質さを証明する要素があって、彼女はおとなしい印象でなおかつ優秀だ。
当然、いろいろあったのだから人間的深みも持ち合わせている。
かくして、一般人が僕にとっての時の人になった。
例えば彼女が芸能人だったらきっと好きになってたと思う。
ここ2日くらいは彼女の出演作品を見返して「かわいいな~」と思ったりするだけの日々を送っている。
フォーマルな作品での優秀さはそのままに、もう少し砕けた場面では彼女のかわいさがより一層際立つ。
彼女のyoutubeチャンネルでは動画を取るのに慣れていない、たどたどしさにも萌える。
「あ~論破されてーなー」
小川さんが勧誘に来ていたら、今頃は神の教えと崇高な願いを書き残したということに違いない。
もっと言えば、デリヘルみたいな感覚で家に来てもらうのではなく、彼女をたくさんの人の中から見つけ出した旦那さんが死ぬほどうらやましい。
宗教も愛情も心の隙間にやってくる。
突然に僕の時代が終わらされてしまったのだからショックを引きずるのもしょうがない。
こうやって文字を書きながら不条理を受け入れるように抵抗しているのだろう。
世界の真理は僕も教えてほしいよ。
おわり。