孤独な街並みはblue
病み期突入不可避
昼間から酒を呑む性分、不規則な生活は続く続く。
ごまかすようにお前の尻より軽い言葉を重ねる。
宗教勧誘の後、ブログに書こうとしてたけど酩酊状態で消えたことを書こう。
中学校の頃、英語の先生は3年間ずっと繰上先生でした。
桑田佳祐に似てて、教頭になっても授業をしちゃうタイプのよくいる良い先生。
今思えば15年前から話し合い活動を中心にしたり、英語オンリーの授業をしたり、洋楽の合唱(we are the world)を授業でやったり、当時の印象以上にスーパーマンだったのが今になって分かる。
まぁ、結果的には英語の成績は上がらず、大学受験で英語の偏差値を30上げた僕の功績につながるのはご愛嬌というところで。
信じられないことに当時の僕は割とかわいい生徒で、ニコニコして言われたことはちゃんとやっていた。
考えてみれば繰上先生が授業を持っていたクラスは確か学校で1つ、3年間ずっと彼の授業を受けてたのは確率論で考えれば8-9人ほど。
後から思い出すかぎり僕が彼にとって特別な生徒のうちの1人だったはずである。
そういう結論にいたる。
卒業式の後、アルバムに先生からの一言をもらいに行った時に象徴的な、特別な言葉をもらったことを今でも覚えています。
「雅也の笑顔はいつか自分自身を救うぞ、苦しい時でも笑顔だけは忘れるな」
当時から「いい言葉だなー」くらいの認識はあったのですが、大人の階段を一通り登って振り返るとその言葉の意味について考え込みます。
どこまでのことを見透かしていたのかは分からないけど、繰上先生の目線から考えれば特別な言葉だった可能性は高い。
高校に入って、大学に入って、院にも入って、その時々で「先生」から特別な言葉をもらったりもらわなかったりしました。
実はその言葉は驚くほどに思慮深く選ばれ、構造を示唆するものだったのかもと思い返して感じる。
実は西川純からも特別な言葉をもらってるけどそれはその時が来たら話すことにして。
最近どうかな、笑ってるかな。
多分、笑うこと減ってるよな。
なんでこんなことを今になって思い出したのか経緯は分からないけど、思い出して良かった。
ただ、僕がもう少しでいなくなる生徒に何か特別な言葉を言えるかというと自信ないな。
想定以上に心の落ち込みが大きくて、寒くてどこかにいく勇気はないけど、出かけないとダメだなと思う冬。
おわり。