懐かしい顔、慣れない「ZOOM」

翌日に仕事のない、zoom飲みの後の、タバコを吸ってる時間は手持ち無沙汰で。

怠惰な僕がブログを更新しだすにはちょうどいいですね。

 

今日は高校のクラスでのzoom飲みに参加していました。

と、いっても、昼下がりからしっかりと酒を飲んでしまった自分はそれなりに遅れてふらっと途中参加する感じでしたが。

 

zoomというものを、僕は3年前くらいからちょこちょこと使っていました。

これまでの使用状況は決まって真面目な場面です。

ラインの電話で話さないような人とオンラインで話すツールだったので、かっちりとしている場面が多かったように感じます。

 

この前に部活の同期とzoomで飲んだときにも感じたのですが、なんとも言えない違和感があります。

一種の「意識が高い人のzoomと普通の人のzoomの差」というものを感じます。

それが高校の同級生で久々にあったからなのか、僕が真面目な世界に入り込みすぎてしまったからなのか、

原因が僕にあるのか、状況にあるのか、いまいち真相はつかめません。

 

 

思えば僕は随分意識が高くなりましたね。

この前も、今日も、zoomの画面上で僕が一番意識が高いであろうという事実をひしひしと感じました。

「お前らの知らない世界を知っているんだぞ」って感情と「なんで俺はこんなふうになっちゃったのかな」という感情の、間にあるなんとも言えない感じです。

 

人生で最も意識が高くて、東京駅をスーツで颯爽と歩く僕の姿はもうありません、大分落ち着いては来ました。

それでもまだ違和感を感じるのです。

 

 

あっ、そういえばお笑い的な腕は相当下がってますね。

「この感じで、この間だったら、なにか一言センスがあることを言えば爆笑をかっさえるな」ってときにことごとく不発に終わります。

 

昔はセンス芸人山里亮太だったのに、今では論理派ナナメ芸人若林正恭になっている気分です。

なにか足りないような、これでいいんだよと思うような、

ちょうどいいっちゃちょうどいいバランスなんですかね。

 

 

おわり。