学校のwithコロナ
あの、僕、明日から神奈川県の高校で働きます。
神奈川県立の学校は4月からも休校期間を継続することを公表しました。
この判断の良し悪しではなく、その影響について書きます。
まず、この判断はとてつもなく大きいです。
いいか悪いか、僕には判断しえません。
なぜか。
今後、日本でコロナウイルスの感染者は増えていきます。
諸外国の動向を見るかぎり、少なくとも夏までは新規の感染者数が増え続けるのではないでしょうか。
コロナウイルスに有効な薬が量産されるのは秋ごろかな。
ほぼ収束(新規感染者数が0人の日が連続する)ような状況になるのには年単位(1年とは限らないですね)がかかるかな。
つまり、時期についてはかなりアバウトですが、事実として、今後、国内の感染者が増え続けます、すると、一度休校の延長を決定した自治体は学校を通常運転に戻すためには多くの政治的エネルギーを使います。
というわけで、政治的な英断である「臨時休校」を選んだことで、さらに大きな英断である「学校再開」を選ばなければいけないときが来る、というわけです。
もしかしたら、あと半年ほど、学校教育として体裁を整えることはできないんじゃないかと思います。
ちなみに「英断」というのはとっても難しい考え方で、
声高らかに安倍さんに対して「一律の現金給付!!!」って言う人がいます。
僕は、それ、ちょっと構造が変だなって思って、
安倍さんからしたら「一律でひとり10万円支給します!!!」って言ったほうが支持率が上がるから、政治家としては現金をばらまきたいわけですよ。
だけど、国のマクロな経済とか諸々を考えて「一律の現金給付はしない」という「英断」をしたわけですよね。
それが正しい、正しくないの議論は置いといて、
何かを決定した瞬間それは「英断」になります。
同時に、その責任のすべてを負います。
選択肢がどちらもマイナスになる場合、より痛みが少ない方を選択しなければなりません。
けれど、それを民衆はわかってくれません。
民衆が常に正しいことを言ってるとは限りません。
脱線が長くなりましたが、僕が思うことはそういうことです。
僕が意思決定者だったら、臨時休校の期間を伸ばすし、現金も給付します。
もしかしたら、学校を再開させるし、現金は給付しない、という決断のほうが政治的エネルギーを消費してしまうかもしれませんね。それがいいか悪いかは別の世界線に行かないと判断の仕様がありませんが。
大きな話はさておき。
僕が思っていた教師生活とは少し違った新任1年目になりそう。
いや、新任2年目も思った通りじゃないかもな。
落合陽一さんが言ってましたね、アフターコロナというよりもwithコロナなんじゃないか、って。
そのとおりですね。
しばらくはwithコロナの教師生活になりそうです。
やだやだ。
おわり。