I spy another life

自分の性格は4つに分かれているようです。

論理的活動とプライベート、内と外を2軸にとって。

 

論理的活動と内

極めて攻撃的で軽蔑にまみれていて悲観的。

論理的な内とは、仕事のことなど課題解決の為の組織での自分の振る舞いを内省する時

たとえば、このブログを書いてる時間もそれに当たります。

頭の中では「バカ」「クソ」「うるせーよ」的な言葉が飛び交って、他者や自分に対する攻撃をし続ける。その攻撃に自分が喰らった結果悲観的な未来を想定しがち。ただ、戦略とか計画を立てる時にはとっても役立つ。希望と現実の中間をおよそ取りやすい。

 

論理的活動と外

感情はなくただ論理のみがある。

論理的な外とは、仕事に近い何かしらを誰かと一緒に、誰かに対してしている時

その時には自分の感情について考えることはなく、ただ論理の世界がある。昔は人の感情も分からなかったけど今はその人の振る舞いと表情から感情を推察してそれなりに分かったふりをしてる。このセグメントは大学生の頃から生まれてなんだかんだ僕の生活の多くを占めたりする。人格は集団によって決まって特定のものはない。

 

プライベートと内

幼児性が強い。欲求に忠実、好奇心をもつ、楽観的。論理的思考は全くない。

例えば、旅行をしている時やゲームをしている時、その他諸々プライベートな時間のほとんど

およそ本能に従って行動を選択する。自己中心性が高いが誰の迷惑にもならないから弊害は全くない。感情も倫理観もないけど、大抵は穏やかで自由な状況で気持ちは明るい。

 

プライベートと外

極めて楽観的、自由奔放で集団の中で居心地のいいポジションを見つけて適応する。

例えば、友達と一緒にいる時とか

多くの時間をニコニコして過ごす。適応した組織において帰属意識を持ち、そうではない組織とは疎遠になる。仲の良くない相手と話す時には論理的に感情を読み解く癖が出るが、仲の良い相手には全く気を使わない。

 

 

最近、状況によって僕のあり方がすごい違うよなって改めて気付いたから、まとめてメモ。

細かいズレや重なり、例外もありつつおそらくこの分類がいい。

どれも本当の人格だけど、全く違う人格。

状況に依存した多重人格者かね、僕は。

 

論理的活動と内に所属する自分の個人的分析。

 ですます調じゃなくて断定調で書いて見たけど、無機質で嫌だなぁ。

 

おわり。