片平里菜/異例の人
この曲を知っている人はいますでしょうか。
約三年前、おそらく人生で最もエモかった時代に発表された曲です。
楽曲としての完成度、メロディも歌詞もバックサウンドも弾き語りも、特にCメロの部分は文句のつけようがない。とんでもなくいい。
おそらく僕がこれまでの人生で出会った曲の中でもトップ3には入る曲でしょう。
だけど、僕がこの曲を好きな理由は楽曲がいいからではないのです。
大学2年生のときに鬱になって、非常に死んでいました。それから色々あって大学4年生の時にはストレスのまったくない、幸せすぎるほどの日々を過ごしてました。
この曲が発売されたあたり、大学4年生の冬はその幸せの終わりを予測しつつ、これまでの人生について色々考えた時期でした。
その時、片平里菜ちゃんはちょうど事務所を辞める決断をしたときでした。
異例の人が収録されているアルバムは「どうやったら落ち込んだ感情をこんなふうに音に変換できるんだろう」というような感じでした。
決して売れそうな気配は全くしないけど、アルバム単位で見ても最高レベルの完成度だったと思います。
この曲を聞いていた印象的な場面が2つあります。
一つは、下北沢のよくわからない公園。片平里菜ちゃんのライブを見て、なんとも言えない気分になってコンビニで買ったチューハイを両手に吐きそうになるくらいまで(というか吐いてしまっていた気がします)一人で飲んでました。
久々にひとりになって、その時間の終わりを実感したのがその時でした。
次は、終電の宇都宮線。長旅で疲れ果ててグリーン車ですやすやと寝てしまいました。そのときにずーっとリピートでかかっていたのがこの曲でした。なんとなく、目を覚ましてしまいたくなくてずっと聴いていたのを覚えています。
以前からちょくちょく言っていることですが、エモい曲というのはその曲がエモいからエモい曲になるわけではありません。
その時々の自分の感情と曲が結びついて、自分でも言語化できていない感情を曲に投影して、まるでそれが自分のために書かれた曲のように感じるのです。
なんともなく、その一瞬、片平里菜ちゃんと自分の感情が重なったように思いました。
ここ1年では、クリープハイプのヒッカキキズ、TETORAのずるい人、カネヨリマサルのもしも、あたりがエモい曲に分類されるような気がします。
なんとなく、この週末「エモい曲」に出会える気がします。
感情なんて非合理的で非生産的なものなくなってしまえばいいのにと思ってしまうときもありますが、後々その美しさを理解できる日が来ると思っていましょう。
右の子の声が片平里菜ちゃんに似ているから思い出してしまったのかな。
今は自分も片平里菜ちゃんも別々の感情の中で生きています。
エモい曲というのは聴いただけで胸が締め付けられるように感じます。
おわり