今年の漢字

決まりました。

 

昨年は「糞」、一昨年は「煩」

その前は決めてなかったけど、今思えば大学時代は「夜」「進」「憂」「一」みたいな感じかな。

 

というわけで。

 

稲葉的今年の漢字は、

 

「屑」

 

です。

 

「クズ」って読むあれです。

「滓(かす)」も候補ではあったのですが、なかなか使わない漢字なので却下で。

 

なんか、こう見ると大学院に行って人格折れ曲がったクズの典型のようで。

2020年もう少しだね。

 

例年通り来年の抱負にかえて。

泣きたくなるほど嬉しい、笑けるくらいに悲しい、漢字1文字では表せない複雑な日々を送っていきましょう。

 

 

おわり。

思い出の続き

あの子が大学に受かったと聞いて、少しだけ思い出を探してみたくなりまして。

 

 

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自分と町さんだとね、そりゃ癖強いよな、

ガッツリ受験レベルの英語と古文をやるのはちょっと無理をしすぎたなぁ。

学力に関する力不足はしょうがないと思いつつ、少し悔いが残るね。

 

 

ここにのってる半分が僕が教えてた生徒なのがとっても感慨深い。

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一人だけ名前が思い出せなくてやきもきしながらも、僕がいた証が残ってるのが嬉しい。

まぁ、僕、成績向上講師でしたから。

 

みなとくんはまだ続けてるのかな。

中学校2年生の時に入ってからすぐに内申は5ぐらい上がったんじゃないかな、

 なんやかんやで成績も関係性もその他もろもろも一番うまくいったなぁ、

基本からが優秀だったんだけど。

 

それと、大学の推薦組もたくさん載ってた、というよりも進学先がわかるから誰だかすぐにわかった。

無理矢理合格させてすげーだろって自慢したくなる子もいるんだけど、

一番印象に残ってるのは彼だな。

 

講師始めた1年目、法政大学が志望校の彼は正直大変だった。

イケメンで優しくて、きっと後輩だったらすごく仲良くなってたんだろうけど、先生と生徒だとね、

どんなに準備しても学力には抗えん、

教えるのに目一杯で、それでも足りなくて、

多分今の僕が教えてたら青山にも法政にも行かせてあげられる気がする、そんなね。

笑笑で再会したのを思い出す。

 

あと、りんかちゃん、

不登校だったのよ、

高校行けてたのかな、

とっても可愛くて頭がいい子、

女心は難しいというか、中学生なのに思想に多面性があって中々見通せなかったなぁ。

 

と、佐々木さん、

唯一AOで合格させてあげれなかった子、

勉強は得意な方ではなかったからね、あそこで合格できてればきっと人生は違ってたかなと

 

と、やっぱりけんくん

中学1年から3年まで、長い付き合いになりましたね。

一貫して坊主頭で宿題を忘れる彼は非常に愛くるしかった、

家族の話だったり、夜中に遊んでることだったり、

最後の授業で泣いちゃったんだよね、僕

別にグレてもいいから優しい大人になってほしいな。

 

だらだら書いてこう、

 

司くん、

生まれて初めて人を愛したかもな、

正直自分のことでいっぱいいっぱいになりそうな時期だったけど彼がいたおかげで人間を続けられた気がする、

こっちが金もらってんのにね、不思議なもんでこっちが勇気づけられるっていう、

 

安江くんはね、まじでおしゃべりしてた記憶しかないんだよね、

なんとなく彼はうまくやってる気がするな、

おしゃべりして、勝手にやって、勝手にまるつけして、おしゃべりして 

 

あと、高須さん、

頭よかったなぁ。

政治経済以外の科目だったらまず教えられなかった。

唯一僕の担当生徒で講師になった子、

飲み行けばよかったな、なんか

 

その続きを知ってる子は多くないけど、きっと大丈夫だと思う、

りんかちゃんはちょっと心配だけどな

 

小説は終わりの先が分からないから面白い、

そういうことかな。

 

おわり。

 

気になる娘

3年前個別指導塾で働いていたころ。

気になる子だった生徒が玉川大学に受かったとのことで。

 

その子はおばかっちょで素直な子で愛くるしい子でした。

難しく言えば学習障害(軽度の知的障害?)で多動性の傾向もある子です。

 

その子が中2のときから中3の終わりまで担当講師をしていました。

 

当時は数学の担当をしていた宇佐見くんと毎晩毎晩その子のことをおしゃべりしていました。

受験が近づくについれて自分が勉強ができないのを理解していく彼の姿に、「君は愛される人だよ」とまやかしのおしゃべりをしていたのを覚えています。

 

僕は彼と話すのが楽しかったです。

離れてから3年経っても連絡が来るのがとても嬉しい。

 

これまでに担当した生徒全員を強く覚えているけど、やっぱり彼は特別な生徒に一人には入る。

 

授業中に恋愛相談をされたり、競馬を一緒に見たり、受験が終わったら一緒に焼き肉に行ったり。

そういった一つひとつの思い出を強烈に思い出す。

 

知らない講師と一緒に写った写真が印象に残る。

嬉しそうで何より。

彼が玉川大学に受かるとは思わなかった。

きっといい先生に、同じように愛されてたんだね。

 

彼とは近々焼き肉パーティーをする。2年後には飲みに行きたいね。

当然おごるからね。

 

 

おわり。

昨夜の月も大きくてまあるい。

昨晩はどういったわけかTwitterで昔から仲の良かったてぃーだぶ君と6時間くらい電話をしてました。

なんだかんだあってTwitterで出会った人はたくさんいれど、いわゆる友人関係が続いているのは彼だけだなと。

肌寒くなってエモさが身に染みる季節。

本当に懐かしまざる夜が続くな。

 

話は色々。Twitter界隈の様子を半年ぶりにアップデートしたり、あの子やこの子の噂話とか思い出話を聞いたり、なぜか僕が鴨頭界隈をおすすめする流れになったり、あの子の未来をどうするか会議をやったり。

気を遣わずに話す時間というのは社交辞令のそれとは違って良かった。

別に何か生まれるわけでもない、無駄な時間に愛おしさを感じる。

 

僕も2年間でだいぶ老けたな。

こんなんでも怒りとかギラギラとか、そういった類の若さが随分と消えてますね。

特に今年に入ってからは顕著に。

 

別に若いことだけが正義ではないけど、身の丈と年齢に合った思想を身につけよう。

僕が一貫して大嫌いなクソ老害に僕がなってしまわないように。

 

 

おわり。

but don't look back in anger

今の価値は今にしかないけど、後になってからしか分からない、
僕は酩酊するのに値する夜に居たのかなと

 

誰もが存在を忘れているであろうサブ垢で、昨晩僕はこんなツイートをしていたようです。

朝4時、飲み過ぎの副作用で起きた僕がふと見返しても、色々思い出しました。

このツイートの後にはいくつか続きがありますが、それはそれとして。

 

一行目、僕はこれまで色々な形でエモいということについて考えてきて、何度も違う形でエモいということを言語化してきました、今回も例に漏れずその一例な訳だけど、比較的納得感があります。

これは多分、なぜエモいと感じるのか、という理由にフォーカスされてるので正確には言語化ではないんですけど、

 

不思議とここ最近は旧友と会う機会が多くなってます。

でも一度たりとも友達に戻ったこともなければ戻ることもない、不可逆的なものに抗いながら人はそれをエモいといってまた今の世界に戻っていくのでしょう。

 

まぁ、そんなこと仏教で散々言われてるのにね、知ってるんだけど知らないふりをしてるんでしょうね。

 

過ぎ去ったものは心の中にしまって、二日酔いのベットから革命を起こしましょう。

 

おわり。

Tip Tip LaLa-Pu Lui Lua

なんとか頑張ってプライベートな僕の記録を残したいんだけど、やっぱり無理だな。

優しい歌を聞くと優しい気持ちになれる。

多分世の中にずっと怒ってる人なんていなくて、なんやかんや心の中に優しさはあると思います。

ほらだって、クリープハイプだって最後の曲は決まって優しい曲でしょ。

 

JKの日記に成り下がった文字列もまぁいいのかな。

自分の多面性を表現できる人に憧れる。

 

おわり。

I spy another life

自分の性格は4つに分かれているようです。

論理的活動とプライベート、内と外を2軸にとって。

 

論理的活動と内

極めて攻撃的で軽蔑にまみれていて悲観的。

論理的な内とは、仕事のことなど課題解決の為の組織での自分の振る舞いを内省する時

たとえば、このブログを書いてる時間もそれに当たります。

頭の中では「バカ」「クソ」「うるせーよ」的な言葉が飛び交って、他者や自分に対する攻撃をし続ける。その攻撃に自分が喰らった結果悲観的な未来を想定しがち。ただ、戦略とか計画を立てる時にはとっても役立つ。希望と現実の中間をおよそ取りやすい。

 

論理的活動と外

感情はなくただ論理のみがある。

論理的な外とは、仕事に近い何かしらを誰かと一緒に、誰かに対してしている時

その時には自分の感情について考えることはなく、ただ論理の世界がある。昔は人の感情も分からなかったけど今はその人の振る舞いと表情から感情を推察してそれなりに分かったふりをしてる。このセグメントは大学生の頃から生まれてなんだかんだ僕の生活の多くを占めたりする。人格は集団によって決まって特定のものはない。

 

プライベートと内

幼児性が強い。欲求に忠実、好奇心をもつ、楽観的。論理的思考は全くない。

例えば、旅行をしている時やゲームをしている時、その他諸々プライベートな時間のほとんど

およそ本能に従って行動を選択する。自己中心性が高いが誰の迷惑にもならないから弊害は全くない。感情も倫理観もないけど、大抵は穏やかで自由な状況で気持ちは明るい。

 

プライベートと外

極めて楽観的、自由奔放で集団の中で居心地のいいポジションを見つけて適応する。

例えば、友達と一緒にいる時とか

多くの時間をニコニコして過ごす。適応した組織において帰属意識を持ち、そうではない組織とは疎遠になる。仲の良くない相手と話す時には論理的に感情を読み解く癖が出るが、仲の良い相手には全く気を使わない。

 

 

最近、状況によって僕のあり方がすごい違うよなって改めて気付いたから、まとめてメモ。

細かいズレや重なり、例外もありつつおそらくこの分類がいい。

どれも本当の人格だけど、全く違う人格。

状況に依存した多重人格者かね、僕は。

 

論理的活動と内に所属する自分の個人的分析。

 ですます調じゃなくて断定調で書いて見たけど、無機質で嫌だなぁ。

 

おわり。