種明かし

僕には秘密がある。

死ぬまで墓場まで持ち帰る話もある。

 

だけど、秘密には色々な種類がある。

 

ひとつに、墓場まで持ち帰る話。

これに関しては何も言わない。

誰にも話してない話が僕にもある。

 

ひとつは、人の評価に関する話。

僕は初対面や節目において人を評価する。

その人の見た目から言葉の端々にその人の性格、近情、生い立ちまで、勝手に確かめもしない仮説を立てる。

 

ひとつは、その人の尊厳に関わる秘密。

僕と数人だけが知っている誰かの秘密を他人に伝えることはない。

ただし、例外は「その人」と離れてこの先その人と関わることのない人といる時。

 

 

その種明かし、というか推察を含めた噂話をするときはわり合い楽しい。

 

ただ、その時間は決まって悲しい。

そういうね。

 

 

 

おわり。

 

 

ライブに行ける時代かな、

何故かわからないのですが、最近ブログの閲覧数が急上昇していてとてもびびっています。

1人の人がずっと観てたとか言うレベルではないのでとても怖いです。


まぁ、久々のブログを書いていこうと思うのです。

相変わらず、誰かに伝えるためにわかりやすく書いてるわけではないのでつまらないですよ。


https://youtu.be/aX3wb3A6IUE


それなり前から追っかけているTETORAというバンドのライブ映像がアップロードされていました。


歌のうまさならワンオク、

演奏のうまさならラッド、

MCのうまさならhamp back、

迫力だったらハルカミライ、

上記のバンドのライブに行けば分かるくらいにそれぞれレベルが違います。


ただ、僕がこれまでで見てきた中で最も凄いライブはTETORAです。

音程はめちゃくちゃ、演奏は簡単、MCはつまりづまり、ステージでの動きも少ない。

お世辞にもいいパフォーマンスとはいえません。


僕は人の「凹」が好きです。

4つ挙げたバンドのライブは本当にすごいです。

だけど、心に残っているのはTETORAですね。



最近、YouTubeで中国の歴史に関する動画をみてます。

古い中国特有の為政者の思想的特徴とかその辺りのことに偉く納得をします。


人の「凸」を活かせる人

人の「凹」を愛せる人


いつの時代もどちらかに飛び抜けた人がリーダーとなります。


久しぶりに「頑張って成果をあげろ」と「今ある幸せを感じろ」みたいな対比の世界に入ってきました。


僕はやはり人の「凹」を愛せる人になりたいし、志向はそっちにあります。


うん。

ずっと思ってることを改めて強く思ったから記録として




がんばって改善して完璧を目指したくなるけど、完璧になったそれに感動はあるのか、そういうことを学ぶ。



久々にライブに行こうかな。

頑張ってチケット入手して。


コロナが明けて、僕の好きだったバンドの人気はさらに上がってチケットが取れなくなってる模様です。

時代に乗り遅れないようにしよ



おわり。



僕はといえば、神奈川の真ん中であくびをひとつ。

最近色々とありまして、自分自身の状況を俯瞰して見れるようになってきてる気がします。


結論から言うと、今の自分の状況は大学院時代に振る舞ってきた「内面では尖りに尖って、外面(社会的な場面)ではそれなりに周りと調和を取ろうとするスタイル」に限界が来ていると言うことなのでしょう。


僕の口癖は「余計なお世話だよばーか」です。

これが何を意味しているかと言うと、いろいろな苛立ちや合理的ではないことに対して反発する気持ちを内面に押しとどめるための合言葉だったんだと思います。


大学院の頃は、基本的に気の置けない人といることが多く今よりもストレスの絶対量は少なかったと思います。

ただそれでも、最後の頃は少しへばっていた部分もあったので、やっぱりこの生き方は持続可能ではないと思います。



となった時に僕が取れる選択肢は2つで、1つは今の振る舞い(内面で尖って、外面で丸くなる)を限りなくストレスを減らして続けていくか、もしくは周りはあまり気にせずに自己主張をしていくか。

もう1つの選択肢として、自分の考え方自体を変えると言うのもありますが、これはあまりチャーミングではないと思います。


さてどうしましょうか、自分の状況を俯瞰して見たとて何か変わるわけでもないので頭がぐるぐるです。



おわり。

異例の人

片平里菜/異例の人

この曲を知っている人はいますでしょうか。

 

約三年前、おそらく人生で最もエモかった時代に発表された曲です。

楽曲としての完成度、メロディも歌詞もバックサウンドも弾き語りも、特にCメロの部分は文句のつけようがない。とんでもなくいい。

おそらく僕がこれまでの人生で出会った曲の中でもトップ3には入る曲でしょう。

 

だけど、僕がこの曲を好きな理由は楽曲がいいからではないのです。

大学2年生のときに鬱になって、非常に死んでいました。それから色々あって大学4年生の時にはストレスのまったくない、幸せすぎるほどの日々を過ごしてました。

この曲が発売されたあたり、大学4年生の冬はその幸せの終わりを予測しつつ、これまでの人生について色々考えた時期でした。

 

その時、片平里菜ちゃんはちょうど事務所を辞める決断をしたときでした。

異例の人が収録されているアルバムは「どうやったら落ち込んだ感情をこんなふうに音に変換できるんだろう」というような感じでした。

決して売れそうな気配は全くしないけど、アルバム単位で見ても最高レベルの完成度だったと思います。

 

この曲を聞いていた印象的な場面が2つあります。

一つは、下北沢のよくわからない公園。片平里菜ちゃんのライブを見て、なんとも言えない気分になってコンビニで買ったチューハイを両手に吐きそうになるくらいまで(というか吐いてしまっていた気がします)一人で飲んでました。

久々にひとりになって、その時間の終わりを実感したのがその時でした。

次は、終電の宇都宮線。長旅で疲れ果ててグリーン車ですやすやと寝てしまいました。そのときにずーっとリピートでかかっていたのがこの曲でした。なんとなく、目を覚ましてしまいたくなくてずっと聴いていたのを覚えています。

 

以前からちょくちょく言っていることですが、エモい曲というのはその曲がエモいからエモい曲になるわけではありません。

その時々の自分の感情と曲が結びついて、自分でも言語化できていない感情を曲に投影して、まるでそれが自分のために書かれた曲のように感じるのです。

なんともなく、その一瞬、片平里菜ちゃんと自分の感情が重なったように思いました。

 

ここ1年では、クリープハイプのヒッカキキズ、TETORAのずるい人、カネヨリマサルのもしも、あたりがエモい曲に分類されるような気がします。

 

なんとなく、この週末「エモい曲」に出会える気がします。

感情なんて非合理的で非生産的なものなくなってしまえばいいのにと思ってしまうときもありますが、後々その美しさを理解できる日が来ると思っていましょう。

 

右の子の声が片平里菜ちゃんに似ているから思い出してしまったのかな。

今は自分も片平里菜ちゃんも別々の感情の中で生きています。

エモい曲というのは聴いただけで胸が締め付けられるように感じます。

www.youtube.com

 

おわり

与党も野党もヤジも罵倒もやめにしようよねぇ

なんだか、最近、物事について分析的に減ったなぁと思うので、政治のことについてでも書きましょうか。

特に意味もないけどね。

 

久々に政権が変わりましたね。

安倍総理の時代について言えば、もっとこうしたほうがいいなってところもあったけど、僕的にはおおむね評価は高めです。

 

まあ、一番の問題は公文書の改ざん、破棄、非公開ですよね。

その背景に内閣人事局制度があって、その功罪の罪の部分ですよね。

ツイッターを見ていると、「なんでこんなことが起こるのか、理由わかってるのかな」という人達が沢山います。検察庁法のあれについても然り。

 

安倍内閣時代の内政(特に政治、官僚組織の統治について)の特徴は、内閣中心の政治の確立だと思います。

それを悪く言ったら「アベの独裁」という感じですよね。

色々まとめて言えば、政治の色々なことを決定する権利が内閣というか、自民党にあるという感じです。

 

例えば、モリカケについてだったら、官僚にとってこれまで以上に『必賞必罰』の考えが染み付きましたね。

関わった人が自殺してるのに、命令したであろう人が出世してるのはそりゃおかしいよねと。

検察庁法については三権分立を破って政治が司法に介入することは良くないよね。

内閣の以降に沿った捜査・立件をしたり、判決をしたりするのはだめだよねと。

 

と言いつつ、それが民主的ではないか、と聞かれると、僕は最高に民主的な改革だったと思います。

選挙で選ばれたわけではない官僚や検察官が物事の決定権を持つのは、原理的に民主的ではないし。

選挙で選ばれた政治が中心になって三権を緩やかにまとめていく方のが議院内閣制の国の宿命ですからね。

 

 

とも言いつつ、これは安倍晋三がやりたかったことではないんですよね。

お友達(実際には知り合いだと思うけど)の土地を値引きするのとかもね。

安倍さんがやりたかったのは「美しい国」を作ることですからね。

全般的に野党が追求するような内政的なことは本来安倍さんの政治思想とは関係ないことなんですよ。

 

むしろ、人事権を使って人を動かす制度改革ってのは菅さんの得意分野じゃないですか。

感覚的に内政については安倍さんはほとんどノータッチだったんじゃないかと思います。

内閣が行う政治っていうのはあくまで自民党の意志の総体ですからね。

菅さんは現実的な制度改革がメインになっていくんじゃないでしょうか、

 

知識がない人が政治について語るな、とまでは言いませんが、やっぱり論理的な判断をするためには知識が必要ですよ。

全部知った上で単純化した構造を民衆に伝える人もどうかと思うけど、それを信じて疑わない人もどうかと思いますよね。

 

「前提知識がないと話し合い活動はうまくいかないよ」

こういう理屈なんだろうね。

 

おわり

眠れない夜のこと。

最近、大分久しぶりに自分のあり方、生き方について考えていきます。


僕は少数派の生き方をしてます。

全てに人に「余計なお世話だよばーか」と思いながら、自分の直感に頼りながら、ちょっとの真面目さを持った自分の思うように生きてます。

当然、あり方もそんな感じ。


これを自覚的に選択するようになったのは20歳くらいの時でしょうか。

なんやかんやでうまいこと僕を生きてます。


多分、今、それを再考する時期にはなってると思います。


だけど、結論が出ました。

僕は僕らしく生きようと思います。


そういう報告です。



おわり。

かつて天才だった俺へ

改めて恥ずかしげもなく言わしてもらうと、僕は頭が良い青年でした。

特に抽象的な言語分野については、僕以上に頭の回転が早い人は数人しか知りません。

(もちろん、経験値も含めて考えて負けることはちょくちょくありましたが)

純粋な、文系的な頭の回転となると圧倒的な自信を持っていたわけなのであります。


だからこそ、大人になるにつれて自分の苦手な部分に目がいったり、根本的な人間性の問題に気付いて打ちひしがれたりと、色々あるのでしょう。


もう一度思い出します。

僕は確かに天才でした。


酒のせいで縮こまった脳味噌にエネルギーを注いでみようと思う次第なのです。



おわり。