みょーじ

僕の好きなバンドマンが結婚しました。


ライブハウスに響く音が懐かしい。


今日は一日ぼんやりと、変なことを考えていて心ここにあらず。

と言いつつ授業はうまく回っていく。


『学び合い』の授業は集団の科学だから、同じ授業なんてないんだ。

なんて思ったりもするけど、なんだかんだで流れは一緒で。

特に1年生なんかは全部のクラスがほぼ同じ流れの中にある。


クラスの闇は見えず、教師を意識した「良い行動」がちょくちょく現れたり、教師がどこまで許すのかを確かめる行動があったり。

どこか慣れてきている自分に腹が立ったりもする。



あのバンドも、きっと全国47都道府県を回るツアーの最中に思ってたんだろうな、こんなこと。

けど、あのバンドの音楽は折り返し地点の、地方都市にあるライブハウスで僕の胸に届いていたからすごいんだな、


通称おっぱいちゃん、また名をぴかちゃん、

結婚おめでとう。

みょーじが変わっても、名前が変わらないからおじさん嬉しいよ。


b-3,h-3


おわり。

根暗インキャ、留年見込み

僕は言わずと知れた「根暗インキャ」です。

もしかしたら周りからは違う見方をされてるかもしれませんが、僕の思想はオーソドックスな根暗インキャだと思います。


基本的に楽天的な思考はできないです。

あなたが楽天的だと思うそれは単純に物事を雑に、都合の良いように見ているだけです。


自分がその時にリソース割いて真面目にやってることには反省が付き纏います。


どうにもこうにも、楽しく終われることが滅多にない。



そういう時には、オードリーかcreepy nutsのラジオを聴きます。

というより、若林正恭のそんなに面白くなかった話とcreepy nutsの悩む相談室を聴くと、

「まぁ、そうだよなわかる分かる」と思います。


そんでクリープハイプを聴いてみると、その低レベルな共感が少しづつ怒りに違い何かになっていきます。


根暗インキャが根暗インキャとして生きていくのはそれはそれは難しい。


でも、それを抜け出すのはもっと難しい。



内容はないです。

力つきました、寝る、



おわり。

今日は当たり、今日ははずれ、そんな毎日でも

今日ははずれの日です。


なんか上手くいかないなぁって感じで1日が終わっていきました。

テクニック的な客観的な作戦についての話は置いときましょう。

(今はノックアウトさせられている最中なので)


1番最初の授業で「なんか微妙に歯車が噛み合わないというか、うーん」って思って、

そのままズルズル5.6時間目は気力がつき惨敗。


そういえば、4つも授業するのは人生初だったんですね。

精神的なキャパを超えました。



今日は当たり、今日ははずれ

そんな毎日でも明日も進んで行かなきゃ行けないから、ね、


はずれだった


a-1,c-2,d-2,e-2


おわり

人間と人間の営みだから、数学みたいに答えが1つだと面白くないと思うのですが。

学力と『学び合い』のレベルには相関関係はあるのか。

多様性と『学び合い』のレベルには相関関係はあるのか。

授業数と『学び合い』のレベルには相関関係があるのか。



正直な話、最近授業をして感動することがあるのかなって思います。


いくつものクラスで『学び合い』をしているのですが、およそ「こうしたらこうなるよな」っていう方程式から外れません。


僕が『学び合い』の経験値を積んで、上手くなったねっていえば、それはそうなんだけど。

なんともなく、面白みがない気もする。



もしも、進学校で『学び合い』をやったら、

もしも、中学校で『学び合い』をやったら、

もしも、小学校で『学び合い』をやったら、



何かが変わるのかなって思ったり。



おわり。

パチンコであとちょっとで揃うかなーって期待したけど、揃わなかった時の感じ

試しにぬるっと授業を始めてみたんですけどね、


最初は自分の席でやってる子がほとんど。

ちゃんと静かな感じは勤務校では初めてです。


このパターンは大体こう進む。

20分ごろまでは重苦しい空気を感じて誰も席を立たない。

20分を過ぎたあたりから①分からなくて聞きに行く子②答えを確認しに前に行ってその前に前に座っている子にちょっかいをだす。


今回も例に漏れず、上記と全く同じ流れを辿った。


けど、その後が予想(期待)と違った。

離席する生徒が少なく、半数を全く超える気配がない。


なんか、惜しかったなーって気がします。

期待外れではあるけど、なんとなく、損得勘定をすれば得だった気がします。


次に同じ状況になった時、フィーバーが起こるんじゃないかなって気がしたり、しなかったり。



g-3,h-2



おわり。

失敗するから成功を認識できるんでしょうね。

良いか、悪いか、多分その判断基準は相対的なものなんだと思います。


今日は2つの授業がありました。Gクラスは今年に入ってから間違いなくベストの授業でした。
えげつなく良かった。

まだ、関係性が固まりきっていない1年生、渡り鳥的に移動する生徒も多かった。
それに加えて、その渡り鳥的な移動が『課題の進みが早い生徒(たち)』と『課題の進みが遅い生徒(たち)』の間で起こっていたのが、また、愛おしい。

実はこのクラス、前回授業の雰囲気はそこまで良くなく、若干不安を感じていました。
けど、色々な先生方が築いてきた歯車が少しずつ回ってきているのかなと感じる。

良かった。



で、終わればいいんですけどね、
反対に若干のモヤモヤが残る授業もありました。

Dクラス。選択授業だったのですが、自分が座席表を作っていなくて、なんとなくズルズルした滑り出し。

テスト分けて、採点の確認してもらって、語って。
なんとなく、強弱のつかない感じで流してしまった。

「このクラスはこんな感じにしてみようかな」とおぼろげな計画はあったし、
実際、初めて床に座る集団が出てきたり緩やかな雰囲気が広がっていました。
(これは、他の先生からの目もあるので違うスタイルでやってもらわないといけないかなって思っています。)


なんか、違う気がするかな、
1年間のおわりを想像したときに、もっと違う道筋がある気がする。


前者のクラスの語り、たぶんほぼ原文まま
違うことをやってるのも、全然進んでないのも、周りをチラホラ見渡しているのも、関係ない話をしてしてるのも、知ってます。
反対に、勇気を出して周りの人に話しかけたのも、一生懸命教科書とにらめっこしてるのも、周りを見渡して助けを求めている人のところに行ったのも、知ってます。

良いところも悪いところも全部踏まえて、僕はこのクラスに期待をしているし、信じています。


おわり。